ボトムアップの運命
オープンソースプロジェクトは、参加者が自由に貢献できるボトムアップ型のプロジェクトだ。だから、みんながそのプロジェクトをどう進めたいかについて各々の理想を持っているということがある。そういう場合には議論が巻き起こる。それ自体はいいことだ。議論がなければ、よりいいものは作れないからだ。
しかし、収拾がつかなくなってしまうこともある。自由な、緩やかな連帯の上に成り立っているコミュニティだ。系統だった組織があるわけではない。議論が平行線をたどり、落ち着くべきところに落ち着かないということだってあるだろう。
慈悲深い独裁者
こういうときには、どうしたってトップダウン的な力が必要になる。そういう役割を果たすのは、だいたいプロジェクトの創始者だ。もしくは、そのプロジェクトを運営する組織があるのであれば、その組織がその役割を果たすことになる。彼らは「慈悲深い独裁者」として決断を下す。こういう場面が出てきてしまうのは仕方のないことだ。やはりプロジェクトを進めるには、ベクトルを合わせなければならないからだ。
独裁者が、自ら決断を下さなければならないという場面をできるだけ少なくしたいという理想があるのなら、次に述べることを心に刻んでおくべきだ。それは、たとえオープンソースであろうと、理念を明確にしておくことだ。理念はより具体的な方が良い。その理念が、君たちのプロジェクトを導く灯台になるだろう。論争が起きた場合は常に理念と照らし合わせる。そして理念に近い解決策を優先する。これが第一原則だ。
もし、理念に照らし合わせても、納得がいかないことがあるのであれば、そこは独裁者が決めれば良い。そして、それでもなお納得できないのであれば、別のプロジェクトを始動させれば良い。それも自由だ。オープンソースプロジェクトは分岐し増殖する性質を持つ。
違う理念を持つメンバーが他のプロジェクトを立ち上げることで、元のプロジェクトは、最初に掲げていた理念に共感出来るメンバーが残っているはずだ。だから、それはそれでコミュニティの団結力を強くするきっかけになる。そして、新しく立ち上げられたプロジェクトには、そのプロジェクトなりの理念があり、優先順位があるはずだ。そこには、その理念に共感するメンバーが引き寄せられてくるだろう。
とにかく理念を重要視するという文化が、コミュニティに生まれれば、オープンソースがもつ弱点である「ゆるやかな組織」のもろさを克服することができるだろう。
だからプロジェクト推進者は、常に理念を前面に出し、ビジョンをメンバーに見せることだ。そしてコミュニティ運営は、メディア運営の側面を持つということを肝に命じなければならない。メディアを運営する以上、その読者(=コミュニティメンバー)を奮いたたせ、楽しみを共有できるように振舞っていかなければならない。こういう姿勢をもつかどうかが、コミュニティを主体とした開発手法の成否のカギを握るのだ。