◉テクノロジーを敷衍したい
思えば、敷衍したいことだらけだ。テクノロジーやらサイエンスというものは、論理立てて構成されているものだ。だから、煎じ詰めれば誰でも理解できるもののはずだ。でも、そうは問屋が卸さない。この論理でできた塔は、人間の叡智が詰まっているが故に、その頂上は地上からは決して見えない。そんな現実に、やり場のない思いを抱いたことはないだろうか。僕はそういう思いを抱いている。わからないことだらけで困惑している。でも、少しずつでも分かりたいと思うのであれば、それは叶うはずだと思って今日も生きているわけだ。
そして僕自身が理解したことは、誰かに伝えたい。むしろ、理解しようとしている段階で伝え始めているきらいもある。そんなものだから一寸いけない。でも、そのような知識を敷衍していければ、というのが僕の願いだ。
と、何の気なしに「敷衍」という言葉を繰り返し使ってみたわけだが、何のこともない。そんな言葉は、今さっき知ったばかりだ。敷衍というのは、分かりにくいところを易しく述べたり、詳しく説明することだそうだ。google先生によれば。なんという矛盾に満ちた言葉だろうか。分かりやすく説明するという言葉の意味が「敷衍」だなんて、そんなことが許されるのか。「ふえん」と読める人がどれだけいるのかわかったものではない。こんな厳めしい風体のくせに。ちゃんちゃら可笑しいとは、このことだ。でも、まあいい。ひとつ語彙が増えたのだから。使う機会は多くないだろうけれど、自分の可能性がひとつ広がったということで、良しとしよう。