蘇るたびに、主張できる権利
空白の時間。それは、突如訪れる。誰も、その到来を予期できない。そういうものだ。
でも、空白の時間が現れるからと言って、それは終わりを意味するわけではない。あくまで、空白なのだ。ブログをやめたわけではない。まだ、始まってもないのに、終わってたまるか。そして、そんなブログ的に空白の間にも、僕の人生は着実に進んでいるわけであり、空白などという言葉はまったく似つかわしくない。
だから、僕には今でも「このブログは続いている」と主張する権利がある。
さて、先ほども書いたが、空白の(ように思われるかもしれない)時間にも、僕は有意義な時間を過ごしていた。
まず第一に、子供が生まれた。これ以上に有意義なことはない。そして、子育て生活が始まったのだ。こんな素晴らしいことが他にあるだろうか。人の親となるのは大変なことではあるが、こんなに面白いことはなかなかない。
そして、僕は今年の技術士二次試験を受験した。これも、有意義なことだ。やはり試験会場に集まるチャレンジャーたちの姿を見ることは刺激になる。僕は持てるだけの力は出したと思うので、筆記試験の結果はどうあれ、面接試験の準備を始めつつある。
そんなわけで、まえを向いて進んでいる感が、漲っている生活を送っていた僕に、空白などという言葉が、いかに似つかわしくないかお分かりいただけただろう。
さあ、今日からまた、ハリネズミをめぐる冒険は再びスタートする!