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  • ahedgehogchase

サピエンスの罪について考えてみる

石器時代から続いた環境破壊

 今、サピエンス全史という本を読んでいる。上巻だけ読み終わった。この本を読んで、思ったことは、ホモ・サピエンスというのは、なかなか罪深い種だ、ということだ。

 そして、意外だったのは、我々、ホモ・サピエンスは産業革命が始まるはるか前から、大規模な環境破壊を行なっていたということだ。人類が絶滅に追いやった生物は枚挙にいとまがない。そして、それらの生物には他の人類、すなわちネアンデールタール人なども含まれていた可能性が高い。つまり、僕たちの種は石器時代からすでに、この地球の有り様を大きく変えていたのだ。

人工物に癒される  田舎の風景を見て、「ああ、自然がいっぱいで、なんて長閑なんだろう」と癒されるのが人間だ。でも、よく考えて見たら、田園風景というのは人工物に他ならない。もともと林や森だったところを開墾して、田畑が作られたのだ。田舎の風景が自然だ、というのは厳密には正しくない。山にしたって、人間が杉なんかを植林しているところも、やはり自然というのは違うのだろう。そして、農業をしたり植林したりするのは、ホモ・サピエンスならではの行動だ。他の人類は、そんな行為は思いもつかなかったのだから。そして、先を見越して行動できる能力を持つが故に、食物連鎖の頂点に立つことができたホモ・サピエンスは、自然を自分たちの都合の良いように作り変えていった。  その罪に我々の種は意識的ではなかったのだろう。少なくとも、石器時代や封建時代の人たちは、たとえ気づいていたとしても、さほど重大なこととは捉えていなかったのだと思う。自分たちの食べるものや、家の材料を確保することの方が、よっぽど大事なことだ。他の種が生き絶えようと知ったことではなかったのだ。

罪を自覚して僕らは生きる  それでも、僕たちはこの数十年で、自分たちの種が犯した罪について自覚を持ち始めている。壊してしまったものは元には戻らない。でも、できるだけダメージを少なくできないか。そんな考え方が、広く受け入れられつつある。  この自覚が大事だと思う。  これから先も、僕たちは大規模に自然を壊していくことになるだろう。それは、地球に留まらず、月や火星にも及ぶことになるはずだ。でも、その罪に対する自覚をあれば致命的な状態を避けようとするだろう。  人類の幸福を願うことと、自然の保護はベクトルの方向が違う。しかし、幸いなことに180度も開いていないらしい。罪に自覚的であることで、バランスを取ることができる。全くちがう2つの方向の概念を、両立させられるかもしれない。  漠然とした話だが、人類の犯して来た罪について考える事は、これから僕達が目指すべき方向を見つけるヒントになるのだろうと思う。

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