●僕たちの周りにある伝説 僕たちの住む世界には、色んな伝説が潜んでいる。それは、宗教的な意味においてももちろんそうなんだけれども、伝説には非宗教的な側面があることを僕たちはしばしば忘れてしまう。例えば、基本的人権という概念がある。人間は生まれながらの人権を持っているという伝説だ。しかし、これは自明なことなのだろうか?そんなことはない。これは長い歴史において虐げられてきた多くの民が、より良い世界を夢見て作りげ、獲得してきた伝説なのだ。旧石器時代に生きてきた僕たちの祖先にとだて野獣に襲われて命を落とすことは日常茶飯事だっただろうから、基本的人権の根幹となる生存権ですら危ういものだった。時代が下って封建時代になっても、依然民衆は蔑ろにされることが多かった。だから、文明の発達にともなって、このような伝説が生まれてきたことは決して悪いことではないのだ。しかし、伝説は科学的に存在が証明され得ない概念だ。 科学で証明されないのにも関わらず、皆が普遍的に信じているものがある。そして、それは命の次に大事だという人もいる。そうだ。お金だ。お金の存在を科学的に証明することはできないだろう。お金というのは、信頼を定量化するために人類が生み出した偉大な発明のひとつだ。そして、価値を客観的な指標として用いるために最も適した指標だ。そこに疑いを持つ人はほとんどいないだろう。
●商業化されたテクノロジーが人類を発展させる時代の終焉 でも、そこに問題があるとするならば、あまりにお金の価値にこだわりすぎる人が多すぎるのではないだろうか、という点だ。どんな企業も利益を追求するため、お金に換算される価値のある商材を血眼になって探し続けている。もちろん、それによって僕たちの世界は格段に良くなった。20世紀にはフォードが大衆車を売り出したことから(先進国の)中産階級という新しい階級が台頭し、便利な現代社会を作り上げる礎となったのは疑いの余地がない。商業化されたテクノロジーによって人類が受ける身体的な苦痛は圧倒的に少なくなり、より楽しく、長く生きることができるようになった。それが20世紀という時代だった。(戦争の大規模化という副作用はあったけれども、平和な国においては局所的にこのような社会が達成された) でも、そんな時代はもう終焉を迎えようとしている。かつてテクノロジーによって発展した先進国の中産階級は今や没落の憂き目に遭っている。エレファントカーブというグラフが有名だが、近年、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)をはじめとするシリコンバレーの富裕層や新興国が著しい経済発展を遂げたのに比較して、先進国の中産階級は停滞の真っ只中にいる。周りが発展した分、自分たちは凋落しつつあるという意識が芽生えても不思議ではない。というか、それは事実なのだ。先ほども述べた通り、商業化されたテクノロジーが人類を救ってきた時代は終焉を迎えつつある。
(つづく)