●マテリアル分配の失敗 しかし、ここで僕が示したいことは、GAFAが独占しようとしている貨幣を基軸とした富をだけが富じゃないよ、ということだ。確かに貨幣的な価値は情報というバーチャルなものに移行したかもしれない。 でも、僕たちが生物的な欲求を満たすために真に必要なものはあくまでマテリアルであるはずだ。つまり、衣食住は今のところバーチャルに変換できないということを忘れてはならない。 そして、貨幣的な価値がマテリアルからバーチャルに移っていった理由のひとつは、僕たちがある程度マテリアルの世界から富を得ることに習熟してしまったからなのではないかと思う。どういうことかと言うと、生産性が上がりすぎて、貨幣に換算できなくなってしまったのではないだろうかということだ。農作物は豊作になると、破棄されることがある。値崩れを起こすからだ。そうでなくても、形が不揃いであれば規格外品として商流には乗らないし、スーパーマーケットで売れ残れば否応無しに破棄される。フードロスという現象は生産性の余剰の証拠だ。さらに、いかに食糧が適切に分配されていないかということを如実に示している。余りあるほど生産できるのに、遍く人々には行き渡らないのだ。僕は正直なところ実態は知らないけれども、生産する側の金銭的な利益はそれほど大きいものではないだろう。 (このような問題が起こる理由は農作物を貨幣と交換しようとするからなのではないだろうかと思う。もちろん、農家の人たちはそのようにして生活しているのだから、それ自体に問題があるわけではない。しかし、あまりに貨幣的な価値を重視しすぎているのではないだろうか。たとえば規格外品の農作物が売れない理由は何となく気持ちが悪いからだ。しかし、植物がいびつな形をしているのは別に不思議なことでも何でもなくて、まさにそれが自然の形状だ。) マテリアルの価値が低下するという事象はなにも農作物のみに適用されるものではないようだ。H&MやGUに行けば、流行のファッションアイテムが安価に手に入るし、100均に行けばこれが本当に100円で売られていて良いのかと思うようなものが手に入る。電気製品も安くなった。電気部品がコモディティ化し、垂直統合型の経営が王道とされた時代は終わり、水平分業型の経営が、その強みを発揮するようになってから久しい。これは、インターネットによってコースの定理が覆ったものだと見ることもできるが、ここでその話をし出すと訳が分からなくなるのでやめておこう。 いずれにしても、そんな時代においては、皆が必死にわずかな利益を追い求めるようになった。GAFAの躍進を目の当たりにしながら、僕たちはニーズをでっち上げる。しかし、そうすることは当たり前の事だと考えられている。わずかでも売り上げや利益を積み上げるのは企業体を存続させるには必要不可欠な行為だ。しかし、残念ながらでっち上げたニーズは所詮でっち上げだから、そこから利益を得ることはそれほど多くない。モノは安くなったが、得られる賃金も安くなった。生活は楽にならない。そのような構造を僕たちの社会はいつの間にか作り上げてしまったのだ。 マテリアルが氾濫したこの世界においてでさえも、労働者は身を粉にして働かなければ生きていけないということは大きな矛盾を孕んでいると僕は思う。これは、明らかに分配がうまく行っていない証拠だ。生きるのに必要なものは安く手に入れることができるはずなのに、それらを手に入れるための貨幣が手に入らないのだ。なぜこのようなことが起きてしまったのだろうか。僕は分配がうまくいかないのは高い生産性を有する組織体が局在化しているからではないかと考えている。 ●生産性を分配せよ 田舎に行くと、米や野菜が溢れている。近所の人たちにお裾分けすることも頻繁にあるだろう。それは、生産性の余剰の恩恵だ。土地も安いし、とりあえず生きていくことはできる。ハーバーボッシュ法によって空気中の窒素を作物に取り込むことができるようになったので、江戸時代のような飢饉に喘ぐこともないだろう。もっともこれは農家の方々からすれば非常に甘い考えかたかもしれないけれども。 しかし、やり方は変えられる。特に、現代という激動の時代においてはその可能性は常に見えている。生産性をさらに上げることは確実に可能だ。しかし、そのためには高度なテクノロジー、エンジニアリングが不可欠だ。IoT、AI、ロボティクスの技術が農業をより良きものにアップデートしてくれる。しかも、特定企業への望まぬ「納税」を避けながら、それを可能にする方法がある。僕はその方法をコミュニティ・エンジニアリングと呼ぶことにした。
(つづく)