僕が行きたい場所 どこでもドアがあったならば、どこに行きたいだろう?行きたいところはたくさんある。最近、漫画のチェーザレを読んで、イタリアにも興味を持ったし、スペインにも改めて行ければ良いと思っている。フランスも良い。 学生時代は世界史はほとんどノータッチで過ごしてしまったので、歴史物の漫画や小説を読むと新鮮で面白い。だから、行きたいところは山ほどあるのだ。 でも、こういう願望は、割と普通の願望だ。いたって一般的だ。でも、普通に考えているだけじゃ、僕たちの人生に進歩はない。そして、進歩がなければ、人類の未来はないはずだ。 では、普通ではない所で、どこに行きたいというのか。 それは、一坪大学だ。そして、それはまだこの世には存在しない。
1/10スケールの世界へ 地球の直径が、10倍あればどんな感じだろうか。きっと、重力は4,200倍くらいになって、僕らは潰れてしまうだろう。330トンの重みに耐えられる自信はない。そんな世界、行きたくない。でも、潰れないならば、より大きな世界に降り立つことになる。僕たちは地球の1,260倍の土地を手に入れることができるだろう。 でも、そんなこと可能なのだろうか、と問われれば、僕は可能に違いないと考えている。すなわち僕たちが小さくなれば良いのだ。1/10サイズの義体(ロボット)に憑依してやればいい。MR的な「どこでもドア」が実現可能なら、もれなく実現可能だろう。というか、こちらの方が実現可能性は高い。なぜなら、旅行ができるような義体(ロボット)を作って世界中に配備することは、かなりハードルが高いからだ。 そこで僕は考えた。義体による瞬間移動が可能になるとしたら、最初はスケールダウンした世界しかない。小さな義体であれば、うまくすれば、数万円で作れるかもしれない。今は無理だが、10年後には余裕でできるだろう。人間の大きさのロボットが普及するには、まだまだ時間がかかるだろうが、ハプティックな機能を持つ1/10義体であれば可能に違いない。 これは義体による瞬間移動について考えたことのある人なら、思い付いてもおかしくないだろう。実際、どう考えてもそうなのだから。 スモールライトで何ができるか でも、1/10義体の優位性が出てくる場面というのは、そんなに多くないようにも思える。僕も、最初は小人体験くらいかと思っていた。それはそれで楽しいかもしれない。ニルスの不思議な旅みたいな遊びができるかもしれない。 それにしたって、やっぱり遊びでしかない。確かに新鮮で面白いかもしれないが、それ以上でもそれ以下でもない。もっと、有意義なことができないものか。 行き詰まったところで、もう一度、10倍になった地球のことを考えてみよう。さっきも書いたが、土地はべらぼうに広くなる。土地だけではない。この世にある物質もとんでもなく多くなったような感覚が得られるだろう。角砂糖なんて体積で言えば1000倍の感覚だ。なんてことだ。 しかし、義体は食料を食べられない。これは本当に残念なこと。そして、生物的な身体を持つ以上、大抵のものは1/10スケールの世界の恩恵を得られない。 こうして、僕たちの前には再び大きな壁紙立ちはだかる。ハプティックな機能を実現したとしても、とくに良いことはないのではないだろうかと思えて仕方がないのだ。 だが、エンターテイメントを除いて恩恵が得られないのはなぜだろう。その原因についてもっとよく考える必要があるのではないのか。 1/10スケールで実世界を操作することができるのに、特に利用価値がないなんて、そんなことあるだろうか。資源1,000倍なんだぞ。もっとよく考えるんだ。 そして、僕はひとつの仮説にたどり着いた。1/10スケールで恩恵を得られるのは次のパターンなのではないかと。 1. わずかな物質に影響を与えることで、情報が得られる場合 2. 物質に影響を与えることで、
その物質をポジティブな状態にすることができる場合 1つ目は、要は分析だ。化学分析とかそういう類の話が該当する。例えば、高価な試薬を使って実験するのに、あんな大きなビーカーを使う必要があるのだろうか。ないだろう。あれは、まあまあ大きい人間という種族が、自分の身体に都合のいい形で実験するから、無駄に大きな試験管を振っているんだ。 1/10のサイズの小人なら、もっと有意義なことができる。1/1000の量の試薬で実験ができる。 2つ目は、壊れたものを修理したり、怪我などを治療することだ。人が入り込めないようなところで、このような活動をするのは世の中の役に立つ。あとは、ものすごく小さなものを作るとか。昔話でも、靴を修理しているのは小人だったりする。 ほら、役立たずなんかじゃなかったよ。小人さん。むしろ、良い働きじゃないか。 僕が行きたい場所は一坪大学 ここまで来ると、一坪大学について、説明することができる。これが一橋大学ではないのは明らかだ。 これは文字通り、一坪の大学だ。1/10スケールの小人義体にとって、一坪は18m×18mくらいの大きさに感じられる。体感200畳だ。それなりに大きい。決して馬鹿にできない大きさだ。まさに研究室くらいの大きさくらいだろう。上に重ねればもっと広くなる。 こんな、シルバニアファミリーみたいな大学に僕は降り立ちたい。研究に必要な機械器具もスケールは1/10だ。材料費も1/1000で(とはいかないかもしれないが)本格的な資金を持たない人間でも利用ができる。そして、南方熊楠みたいな在野の研究者の活躍の場を提供するのだ。 これからの時代、AI(人工知能)が僕たちの仕事をどんどん奪っていくだろう。そんな時代でも、AIは僕たちの情熱や夢は奪えないだろう。なぜなら、単純な仕事から僕たち人間が解放された暁には、逆説的にだが、もはや夢を追いかけることしか僕たちはやることが残されないからだ。そして、幸いなことに、アンドロイドは電気羊の夢を見ることは当分ないだろうと思われる。 だから、選ばれた一握りの才能ある人だけでなく、あらゆる人が彼等の知的好奇心を満たすために、この一坪大学という仕組みを利用できる世の中を作りたい。それが、僕の目指すところだ。 最後にもう一度繰り返す。 僕が行きたい場所は一坪大学です。