ビジネスの真髄が遠い
さて、ひとりでどんどん発散して行っているが、ここでもう一度問おう。「で、結局市場はどこなのか?」と。 市場がなければビジネスは成り立たない。そして顧客を創造することこそがビジネスの真髄である。 やばい。この状態は真髄から遠いよ。 そもそも、エントロピーの低減とか何とか言ったところで、そんなもん興味のある人はどれどけいるのさ。マイクロ資本とか言い出しちゃってるけれども、それより本当の資本が欲しいのが本当じゃないのか?マイクロ資本とかよりも、手っ取り早く儲けられる方法の方が良いし、よりマイルドに考えれば自己投資して稼げるようになる人になると決意した方が、人生楽しいんじゃないか?そんな風に考えている人がマジョリティなんじゃないのか。 内省を続けると道が見えるか それでも、僕がマイクロ資本とか言い出したのはなぜだったか。そこに痛みがあるからじゃないのか。その痛みは何だ?そして、その痛みを共有できる人が顧客なのじゃないのか。 ドミニク・チェン氏は次のように述べている。 他人事でしかないデータのなかで一生懸命脳を働かせても、結局出てくるアイデアが凡庸になりがちです。逆に、すごく個人的なことから始めて、ペインと感じるものをリストアップしていくトレーニングを繰り返すと、その人のオリジナルかつ当事者意識が高いアイデアが出てくる。 うん、方向性は合ってるよ。きっと。この痛みを分解しないことには、顧客なんて見つかりっこない。しかし、それはかなり自分を曝け出す行為でもある。僕は、本当にそういうのは苦手だ。けれども、もはや避けては通れないのだろう。 何がペインなのか。 僕にはピラミッド構造の世界が苦痛で仕方がない。たぶん、そういう世界に順応しにくい性質なのだろう。 でも、それもおかしな話で、本当にそういう世界で得をしているのは、そのピラミッドの最上位の人たちで、その他の人たちは、まあこんなもんか、という気持ちで順応しているのだろう。 そして幸福論に話題は移る(脱線) そもそも論だけれども、お金を持っていることが幸せに直結するかというと、そんなことは無い。ハーバード大学風に言うならば、周りの人達との関係性が一番幸せに直結する要素だ。 しかし、逆説的にだけれども、周りの人達との良好な関係性を構築するためにも、やはりお金は必要なわけで、年収800万円くらいまでは、お金と幸せは相関関係があるとも言う。 そして、年収800万円ありゃ良いかと言えば、そんな事もなくて、時間と引き換えに年収800万円を手にした場合、本末転倒になる。たかだか年収800万円のために、家族とのコミュニケーションの時間が取れずに、家族との関係性が壊れてしまっては元も子もない。 つまりは、お金と時間とのバランスが取れた状態がかなり幸福な状態に近づくための指標になるのだと思う。 年収800万円で、かつ時間のゆとりがあったら結構幸せな人生を送れそうな気がする。甘っちょろいこと言うなと、叱られそうだけれども、そう思うのは自由だ。 そんな夢想をしておきながら、こんな事を書くのもどうかと思うけれども、僕は一応、普通に悲観的な考え方もできるので、転落人生について考えを巡らせる事もできる。 イーロン・マスクは恐怖心は合理的なものとして無視しろと言ったそうだが、僕は怖い。怖くて仕方がない。情熱が恐怖を凌駕しない。たかだかお金のせいで不幸になるのはまっぴらごめんだ。 だから、転落しない世界がいい。 僕は常々思っているんだけれども、こんなに効率化した世界で、食料は大量に廃棄され、いらん製品が氾濫した世の中に、なぜ貧困が残っているのか理解ができない。少なくとも、日本国内だけだったら、転落しない社会を作ることは可能なのじゃないのか。 そうなっていないのが、何かが間違っていると思う。しかし、何が間違っているのかが分からない。だから、マイクロ資本なんていうベーシックインカムの代替案を考えてみたのだ。 で、顧客は? また脱線していた。顧客は誰なんだ。 でも、さっき書いたことに対して、何らかの共感が得られる人が実は顧客なんじゃないのかと思う。 どうセグメンテーションしていいのか分からないが…。 そうだ。 ミレニアル世代だ!ミレニアル世代が顧客だ!そうだ。そうに違いない。 などと言う、雑な思いつきで今回は一旦お開きです。 (つづく)