真水はエネルギーインターネットか 前回、「エントロピーを低減させてシェアせよ!」という方向性がエネルギーインターネットの拡張概念として提唱したのだけれども、こう定義すると、もはやエネルギーインターネットって何なのっていう話になってしまう。そういう定義にしてしまったら、例えば、水もエネルギーインターネットと言い張ることもできてしまう。 砂漠の多い地域では水が貴重になる。しかし、沿岸部であれば海水を得ることは容易い。だから、海水を真水に変えることの価値は高い。海水は飲めないが、真水は飲める。特に石油の産出量の多い国であれば、火力発電で電気を得ることは難しくない。石油を真水に変換しているのだ。でも、これは石油が採掘できる特殊な状況に置かれた地域でないと採算の合わない荒技だ。しかし、これも再生可能エネルギーのコスト低減に伴い、普遍的に行われるようになるだろう。 さすがにこれをエネルギーインターネットと見るのは無理があるが、少なくともマイクロ資本の1つの形には違いない。だからエネルギーインターネットの定義をここまで拡張するのはやり過ぎだろう。少なくとも、水そのものから電気エネルギーを取り出すことはできない。 その他に考えられるのは『マグネシウム文明論』で描かれたように、単体マグネシウムを太陽光を用いたレーザーで精錬する方法だ。この精錬装置とマグネシウム燃料電池を用いるという方法もあるだろう。まあ、これもバッテリーとして分類できるだろう。 こう考えると、「エントロピーを低減させてシェアせよ!」というのはエネルギーインターネットというよりはマイクロ資本の一形態だと見なした方が適切かもしれない。その中で、再びエネルギーを効率的に取り出せるものがエネルギーインターネットを担うものになるのだろう。 (つづく)
エントロピーを低減させてシェアせよ
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